ミレーという画家には、生前も死後も、さまざまな誤解がまとわりついている。ミレーの生涯はけっして恵まれたものではなかったが、考えてみると、これらの誤解のほうがはるかに耐えがたかったにちがいない。
誤解は五つある。それらすべて、ミレーという画家からとりのぞかねばならない。というのは、ミレーを思い浮かべるとき、私たちの目は確実にこれらの誤解のいくつかに曇らされて、彼の本質を正しくつかんでいないからである。
その一、ミレーは農民生活を多く描いたので、単なる風俗画家とみなされていた。
その二、ミレーの作品は≪落穂拾い≫や≪種蒔く人≫は、政治的、もしくは社会的な発言と受けとられた。
その三、ボードレールでさえ、ミレーの絵はあまりに様式を求めすぎる、と批判的な立場をとった。
その四、作品≪落穂拾い≫は有名になりすぎ、もっとも通俗的な絵の代名詞になっている。
その五、ダリによって≪晩鐘≫は勝手気ままに潤色翻案され、あたかも≪晩鐘≫にはフロイトの抑圧された性がかくされているかの観がある。
以上上げた五つのうち、一、二、三は、ミレーが生きてるときすでにこうむった誤解であった。四、五は、彼の死後の出来事である。いずれにせよ、当の五つの誤解ほどミレーを傷つけるものはない。その一つ一つをくつがえしてゆこう。そうすれば、ミレーの真実の姿、ゴッホがあれだけ敬愛した人間の姿が鮮明になってくるだろう。
一、ミレーは風俗画家であるのか?
ゴッホも書いているけれど、たしかに美術史の流れからみれば「百姓や労働者の人物は風俗画として描きはじめられた」のかもしっれない。一七世紀の画家ヤン・ステーンやアドリアン・ブロウェルを風俗画家と呼ぶ美術史かもあるのである。しかし、ステーンやブロウェルより上流社会を描いたからといって、同じ一七世紀のテルボルフが絹やビロードの質感を大切にしたように、ステーンやブルウェルは木綿やぼろきれの質感を大事にしてのであって、要は、彼らがどれだけ自分の生活環境を重視したかにかかっている。それはまた、真実とは何かの問いかけであって、現代の眼からすれば、テルボルフ以上にステーンの、またブロウェルの画面に人生を発見する人が多いのではあるまいか。テルボルフの絵は真実味を欠けているように思われる。そして両者の明白な違いが、テルボルフの比較的恵まれた生活とブロウェルの悲惨な人生であったとしても、別に不思議ではない。三二歳で夭折するまで一気呵成に三〇〇点の絵を描いたブロウェルは、つねに借金に追われ、死んで無名墓地にほうむられた。人間は多かれ少なかれ真実を直視したがらないのである。
ステーンやブルウェルばかりではない。美術史の中で、およそ「偉大な」と信じる画家は、ミケランジェロも、ブリューゲルも、レンブラントも、マニュスコも、ゴヤも、みな働く姿を描いている。言い方を変えれば、画家が働く人間をどのように描いているかによって、彼の制作の姿勢もおのずから明らかにされるのである。
ミレーはパリ時代、ミケランジェロに惹かれて。『パリの思い出』にこう書いている。
「しかし、ミケランジェロの失神した男のデッサンを見た時は、別な感じであった。肉体的な苦痛にひしそがれたその人物の、ゆるんだ筋肉の表現や各面を示す線や肉づけなどが、次から次へと私に深い感動を与えた。私はまるでその人物と同じ苦しみを苦しむような気がした。その人物がかわいそうになり、その人物と同じように胴体と手足に苦痛を感じるのだった。ああしたものを画きあげたような人には、また人類の禍福を一人物に化身させることも可能なのだ、ということをはっきり知った」。
ミレーはマンテーニャの殉教者を眺めても、聖セバスティアヌスのように自分が矢で射られていると感じるくらいだから、一八世紀フランスのブーシェは「好色」であると言い、またヴァトーを好まなかった。ヴァトーについては、次のごとく語っている。
「その色彩の魅力や表現のこまやかさや、作り笑いしている芝居のお人よしたちの憂愁さもよく分かってはいた。けれども私にはいつも人間芝居が心に浮かんできて、その小さな人形達は芝居がすむと箱の中へふたたびもどって、自分の運命を泣き悲しむだろうという気がしたのであった。」
真実をついた言葉であろう。つまり、ミレーにとっては人生のリアリティだけが重要であった。窮乏に耐え、わずかな旅費にも事欠いて母の死に目にも会えなかった彼は、といって貧しさを呪ったりするわけでもなく、「私は他の人たちよりひどい犠牲者だとも考えません」を生をありのままに受容し、ひたすら農民の生活を描いて、制作は一つの戦いであることを、「人を砕いてしまう入り組んだ車輪」であることを、如実に感得していたのだった。
芸術は気晴らしではない。だから、作品にはおのずとバルビゾンの風景に対する愛情がにじみでる。そこで生き、働いている人間の真剣な表情や身振りがあらわれる。時には自分でも鋤をとり、畔をつくる男であったから、農夫の肉体が労苦に喘いで痛ましい形体、しかし逞しいフォルムを形づくることもわきまえていたのである。
彼は誇張なしに言っている。
「私は百姓として生まれ、百姓として死ぬのです。自分自身の土地のとどまり、木靴の幅ほども退かないつもりです」。
ミレーの、体験に裏打ちされた信念はやがて、ボリナージュの炭鉱地帯の悲惨な生活を経たゴッホに受け継がれてゆく。
「百姓は百姓でなければならぬ。働く人は働かねばならぬ。そのときはじめてそこに本質的に現代的なものがでてくるのだ」。
ゴッホのいう「本質的に現代的なもの」については、あとで触れなくてはならない。